【テルの人生奮闘記】~なぜ東十条で焼肉を始めたのか~ 青年時代編

2020/01/05 ブログ
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「あんたお金を稼ぎながら学校に行ったら?」お母さんから言われたのを覚えている。中学校時代は新聞配達でお金を稼いでいたため、お金を稼ぐ楽しさは知っていた。人と違うことに興味があった僕は迷わず夜間高校の「宮城県第二工業高等学校」に進んだ。この夜間高校は中学校の時に非行に走っていた人が落ち着いて通いに来ている人が多かった。

入学して間もなく学校全体での歓迎会オリエンテーションがあり壇上で入りたい部活などを言わされる時間があった。僕は小さいころからバスケ部に入りたかったのだが病気が理由で入れなかった。高校の時には症状も落ち着いていたので宮二のバスケ部は全国大会に行くほどの強豪校と聞いていたこともありバスケ部に入りたく「バスケ部に入ります」と壇上で言った。その瞬間に衝撃が走った。各学年が横並びに立っているのだが各学年の後ろの方に座っているオシャレだがイカツイ人たちがざわざわしていた。さらに、教師とは言えないほどイカツイ先生も「よく言った!」と騒いでいた。僕は心の中で「バスケ部ってヤバいのか?!」と焦った。その当日の放課後に部活の見学でバスケ部に恐る恐る顔を出しに行った。体育館の入り口から覗いていると急に背後からヘッドロックをされた。悪い予感は的中した。イカツイ先生だ。例えるならスラムダンクの赤城だ。実写版赤城と言っても過言ではない。「おまえ俺のこと見て笑ってただろ!」そりゃそうだ。ゴリなのだから。ゴリあらためて斉藤先生はバスケ部の顧問だった。悪い予感はさらに的中する。練習している人たちはオリエンテーションの時に後ろでざわざわしていた人たちだ...もちろん刺青も入っている...今でいうEXILE(良く言いすぎ)をさらにイカツクした人たちだ...斉藤先生に話を聞くと各学年で一番中学校時代に悪かった人たちだそうだ...現役もいる...中学校時代に聞いたことある名前の人もいた...入部することになった...俺は平和な高校生活を送る予定だった...(笑)

アルバイトはコンビニでやることにした。同じクラスのやつが学校の近くのコンビニでアルバイトをしていて、そこで誘われて働くことにした。そのコンビニのオーナーにも衝撃を受けた...スキンヘッドで見るからに堅気じゃない雰囲気が出ている。面接日に即採用になった。平和な高校生活を送る予定だったのに...(笑) ここのコンビニはオーナーの意向で金髪、ピアス、刺青、なんでもOKだった。オーナーから言われたことは「人間は見た目じゃない。ただ、そんな見た目をするなら誰よりも笑顔で愛想良く元気に仕事をしろ。それが守れるなら本部から何言われても守ってやる。」と言われた。なんか分からないが嬉しかった。今まで人に認められることがなかった。我武者羅に仕事をした。8:00∼17:00はアルバイト。17:15∼20:45は学校。21:00∼23:00は部活。この生活を繰り返していた。土日は8:00∼22:00まで仕事をしていた。仕事も部活も楽しかった。ただ学校は入学して1週間で停学になった。(内容は秘密です)気づいたら19歳のときにオーナーに認められ高校生店長になった。毎日のように「そんなじゃ社会で通用しないぞ。」と言われていた俺は悔しくて時間などきにせづ仕事に没頭していた。その結果がでた。仕事は裏切らない。この言葉を10代で知ることが出来たのは俺の人生で大きかった。

そんな仕事も学校も絶好調の19歳の春。佐渡谷家に一本の電話が入る。俺が倒れて救急車で運ばれている最中に救急隊員が自宅に電話したらしい。次号へ続く。

ちょい見せ「テル生きてる」「テル卒業」「東日本大震災!」「飲食店に目覚める」「テル東京へ」