【テルの人生奮闘記】~なぜ東十条で焼肉を始めたのか~ 少年時代編2

2019/12/01 ブログ

「えっ?!転校?!」急に親から聞かせれたような記憶がある。親の都合で小学校2年生の時に仙台市立荒町小学校から仙台市立向山小学校へ引っ越した。転校した向山小学校には幼稚園の時の友達が何人かいて、すぐに馴染めたような気がする。この頃、ソニーからプレイステーションが発売されゲームが大好きだった僕は家に帰ってからはプレステをやるのにハマっていた。そんなある日!事件は起きた!いつも通りプレステをやって布団で寝ていた僕は、気づいたら病院のベッドの上にいた。夢の中で天井から寝ている自分を見下ろしていて、両親が寝ている僕を見て騒いでいた。幽体離脱をしていた!幽体離脱をしていた話をすると皆は信じてくれない。笑 幽体離脱の話はさておき、僕は筋肉が痙攣し白目を向いて口から泡を吐き大変だったそうだ。今なら理解できるが「てんかん」だったそうだ。脳に腫瘍もあり20歳まで生きれなかったそうだ。当時の僕はそんなことは知らず病院から退院して毎月病院に通い国立病院で脳波やMRなどの診察を受けていた。毎日めちゃくちゃデカい薬を2錠以上飲み、バスケやプールなど激しい運動を禁止されていた。そしてプレステも禁止された。夜寝ているときは定期的に筋肉のけいれんが起き何度も夜中に起きた記憶がある。小学校には普通に通っていて休み時間に友達とするドッジボールが大好きだった。この頃20歳まで生きられないと病院の先生から言われたからなのか親も学校の先生も甘やかしてくれたような気がする。そのせいかワガママの度がすぎ小学校3年生の時にドッジボールで最強チームを作り毎日その最強チームと残りのチームでドッジボールをするという今考えるとワガママというよりイジメのようなことをしていた僕であった。成人してから聞いた話だが、担任の先生に訴えた子が先生から「あいつはいいんだ。好きにさせてやれ。」と言われたそうだ。まさに天下だ。そんな生活も長く続くはずがなく小学校5年生の頃に反乱が起きる。逆の立場になりイジメ(?)にあう。イジメというより今までの自分がワガママで皆に迷惑をかけてきていたのだから、当たり前の結果だ。小学校を卒業する頃には平和な生活に戻り無事に小学校を卒業できた。まだ生きている。まだ僕は自分が20歳までしか生きられないとは知らされていない。

そして仙台市立愛宕中学校に入学する。僕には5歳離れた兄がいて僕が中学校1年生のときの3年生の先輩は兄の後輩なので先輩たちから可愛がってもらえた。また勘違いが始まる。そして反抗期に突入!僕は同学年の人と遊ぶことより5歳離れている兄の友達のミネキ君と、7歳離れたシンジ君と遊ぶことが多かった。僕には二人がキラキラ光って見えた。ミネキ君とは週5くらいで遊んでいた。学校が終わり部活も終わり夜はミネキ君の家で遊んでいた。タバコやお酒も覚え、ミネキ君の車でドライブに行ったり本当に楽しかった。そしていろんなところに連れて行ってくれた。優しくて大人っぽくて筋の通っている大人の男って感じだった。曲がったことが大嫌いなミネキ君だった。ミネキ君には男として大切な事を教えてもらった気がする。自然と僕も後輩を大切にするようになった。中学校から新聞配達をしていた僕はミネキ君と遊びに行ったときにお金を出そうとすると「お前はお金をだすな。だから後輩ができたら同じことをしてやれ!」と言われ、それがめちゃくちゃカッコよく見えた。だから後輩と遊ぶときは絶対にお金を出させなかった。今でも同じだ。中学校生活は同学年のやつらと遊ぶことよりミネキ君や後輩と遊んでるときの記憶の方が鮮明に覚えている。友達や後輩は裏切るがミネキ君だけは絶対に裏切らなかった。ミネキ君との思い出は今でも大切な思い出だ。中学校時代に少し非行に走っ話は割愛させて頂きます。笑 まだ僕は自分が20歳までしか生きられないとは知らされていない。

次号へ続く。

ちょい見せ

「テル夜間高校へ入学!」「テルバスケ部に入部!各学年の一番悪い人たちが部員だった!」「高校生店長になる!」「テル19歳、救急車で運ばれる...」