【テルの人生奮闘記】~なぜ東十条で焼肉を始めたのか~ 少年時代編

2019/11/20 ブログ

宮城県仙台市出身。佐渡谷輝久32歳独身。バツナシ。佐渡谷家の次男として国立病院で生まれた。幼稚園の頃はウルトラマンが好きでウルトラマンのポーズをして写真を撮っていた記憶がある。この頃から仮面ライダーやウルトラマン、ドラゴンボールなど戦う系のアニメが好きだった。幼稚園の滑り台を逆走して、そのまま後転しながら落ちて頭を縫うほど活発にお遊んでいた。お兄ちゃんが足が速く陸上をやっていたため、僕はおばあちゃんと一緒に居ることが多く、おばあちゃん子になり、どこに行くのにもおばあちゃんの後ろに着いて歩いていた気がする。家の近くの愛宕橋付近のタバコ屋さんに一緒に行って好物のドロップ飴を買ってもらっていた。

家の近くの仙台市立荒町小学校に入学した。目が悪かった記憶は無いのだが病院に行って検査をしたときに変な目薬を差して目が悪くなったような気がする。笑 それからメガネをかけるようになった。子供ながらにメガネをかけていることが他の人と自分は違うと自慢だった。笑 小学生の頃は5つ離れたお兄ちゃんが大好きで自慢の兄だった。足が速く学校でも目立っていてかっこよかった。何も取り柄が無い自分には羨ましくてしょうがなかった。子供ながらにお兄ちゃんと自分は何かが違うんだと思っていた。なんなら橋の下で拾われたと本気で思っていた。小学生時代に遊ぶときは近所のタクとシュンとユリナ、それにヒロキ、学校で仲良かったホンダ愛宕橋の下の河原でよく遊んでいた。ドッジボールをしたり鬼ごっこをしたり外で遊ぶことが大好きだった。朝食よ昼ご飯に黒糖パンが良く出ていた。嫌いになった。笑 好きな食べ物はお母さんが作るハンバーグ、おばあちゃんが作るケチャップチャーハンが好きだった。従兄弟の家が「吉田屋」という食堂をやっていて、吉田屋のラーメンも好きだった。従兄弟のトモ兄ちゃんは本屋さんに勤めていてクリスマスとかになるとスーパーファミコンのゲームを買ってくれたりした。仙台書店というところは本以外にもゲームも売っていた。仙台書店の店頭には「プレデター」の実物大が飾ってあった。ゲームをお兄ちゃんとよくしていた。「ストリートファイター2」や「マリオカート」など。お兄ちゃんは強かった。そして...嫌いになった。笑 こんな平凡な小学校生活を送っていた僕は小学校2年生のときに転校することになる。転校したさきで怒涛の展開が待ち受けているのであった。

次号へ続く。

ちょい見せ。「テル救急車で運ばれる」「テル小3で天下を取り最強チームを作る」「テル一瞬イジメ(?)にあう」「テル反抗期突入」